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Dron-paの日常と非日常
by ドロン・パ
言語教育について
17/03/23 07:27
言語処理は主に論理情報処理を受け持つ左脳を使って行われる。このことは左脳の一部を破壊された人間が言語を操る能力を著しく阻害される症例から明らかである。ところで言語学習にはイメージ、音声などの処理を受け持つ右脳の活性化が不可欠である。このことは幼児の言語学習においては母国語ですらも絵本や歌の使用が効果を上げていることが証左となっている。また幼児の言語習得の場合は実際上の「現場」的要素と、その場での言語使用が直結している場合が通常であることからも、言語習得においては仮構された現場のイメージ化と音声、すなわち場面場面での視覚聴覚を伴ったヒューマンインターフェイスが重要であると考えられる。

我々日本語を母語とする学習者にとっては、学習者の年齢、環境の制約のため今のところ個別のパロールの基本要素の学習をもって母語とは異なる言語のラングを脳内に構築しようとしている。そのため学習はもっぱら文法、語彙の記憶、すなわち左脳の活動に偏った形式になっているのが実情である。学校教育においては「ペーパー試験」による評価が義務付けられていることもその大きな要因の一つであろう。だが脳科学の分野からの知見によれば、人間の第一言語としてのラングは5歳までに確定するので、その後に新たなラングを構築することは不可能である。我々が母国語のラングからパロールを無限に変形生成することは無意識のうちに可能であるが、このベクトルが不可逆性を持っているのはこのためである。

今言えることは、例えばUNIXの上に構築されたOSXのごとく、母国語たる基幹言語とのシームレスなインターフェイスをもつ擬似的な異言語のラングを脳内に構築する方策を模索することであろう。しかしこの時考えなければならないのは、我々にはよくあることだが、人間の脳は人の「顔は覚えているが名前は思い出せない」という事実からも分かるように、記憶という観点に限って言えば、右脳によるイメージ等は記憶に残りやすいが、それを表現する際の左脳の言語処理、記憶は右脳ほどではないということだ。

すなわち右脳と左脳間での情報処理、イメージとそれを表現する言語表現との関連付けを重視しなければ新たな言語習得は困難だと考えられる。この仮説が正しいとすれば、現在大学で行われている言語教育、教室での多人数でのそれは効果を上げにくいことは明白である。やはり「体験型」の言語教育場面をいかにキャンパス内に創造するかは今後考えなければならない課題である。

ただこうした観点に立った言語教育では、抽象的な思考を支える言語活動の習得はほぼ不可能であると予想される。しかしながら大学教育では言語教育の他にも多様な科目履修が義務付けられている。すなわち入学時より1、2年における基礎言語教育においては右脳と左脳の活性化を促し、その後の専門課程での教育において高度な言語操作を伴った教育活動が必須であると帰結することが可能である。そうなると現在の「4年制」教育では時間的な制約もあるが故に、大学院修士課程と連続した「6年制」教育システムの構築が不可欠ではないかと考える。しかしこれの実現のためには大学とその学生に対する社会的、経済的サポートが必要であり、地域と国にまたがる政治的な働きかけが今後必要となるであろう。

A大学の学生はいわゆるFランク、底辺校と呼ばれる大学であるが、言語教育、専門教育の立場からすると、教育環境とシステム次第では、更に発展飛躍する可能性を秘めていると考えられる。A大学にはA大学に合致した教育システム、例えば週2コマ制、各種メディアやネイティブと補助教員による講義システム等、ヒューマンインターフェイスを重視したシステムが必要であると予想できる。B大学は既に地域に対してはそれなりの実績を持ってはいるが、言語教育に更に改良を加えた講義システムの構築を進めれば、国際舞台で活躍可能な幹部候補生を輩出するだけの可能性はあるのではないかと考える。



 




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