主体の実体化メカニズム
16/02/26 19:58
個人の意識主体としての存立形式、すなわち「私は私である」という意識は、まったく個人にとっては自明であり普遍性を保持した真理であるように現象している。しかしながらこうした一見トートロジカルな主体の意識は、同時に「私は私以外の何者でもない=私は「他者」ではない」という意味論的構造によっても支えられている。すなわちいかに主体がその主体自身に対しては動かしがたい実体として振る舞おうとも、「私」の意識は他者との差異性によって作動しているのであり、このことは「私」という主体が「他者」との関係によって構築されたシステムの一関数、他者との関係性によって規定される変数でしかないことを物語る。
言うなれば主体とはその時々の他者との関係によって偶発的に構築される虚構以外の何物でもないのであるが、現実世界において主体は通常自らのこうした不確定性を意識することはない。ここで予測され得ることは、主体は実のところ実体性を仮構された虚構以外の何物でもないのだが、その虚構を実体化させるもう1つ別の虚構(物語/物騙り)の存在、すなわち虚構を再度虚構化することによってヒト科生物のリアリティを定式化するメカニズムである。
ここで主体の構造を読み解く重要な鍵となるのは主体意識の持つ中心性であろう。すなわち、「私」は通常「私」を中心として構築された世界に事物を含めた他者を配置することで「主体」という資格を得ている。「私」側の意識からすれば、「私」こそが宇宙の中心なのであり、宇宙は「私」によって構造化されることで存在しているのである。このことは例えば死による「私」の意識の消滅と同時に、たとえ物理的に他者が存在し続けようとも、その他者は同時に無に帰することから例証可能だ。
この時問題となるのは他者が主体意識を支える構成要素に還元される時に被る変異である。明らかに「他者」は、「他者」自身も「私」とは別個に中心性を持つ存在である一方で、「私」の意識の中では中心性を否定された状態で存在している。言うなれば他者は私によって実体性を剥奪され、虚構化された形式において私に意識されているのである。単純化すると、「私」が意識している「あなた」は、もはや現実の「あなた」自身ではあり得ず、それは「私」によってfictionalizeされたものとしてのみ存在しているのだ。
ここから「私」という虚構は、「私」自身が虚構化した「他者」との関係から析出していることが帰結できる。しかも「私」は「他者」との関係性の構築においても、関係のあり様を恣意的に選択すること、すなわち「私」の主体性を確証すべく関係性自体をもfictionalizeすることも可能だ。つまりここでは二重の虚構化が作動しているのであり、「私―他者」の関係において、「私」は他者を虚構化することで反作用的に「私」は「他者=虚構化されたものではない」という意識の中で私自身の虚構性を隠蔽し、主体として存立しているのではないか。
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