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Dron-paの日常と非日常
by ドロン・パ
愛の「欺瞞性」
16/02/24 15:54
わが敬愛する19世紀最大の哲学者NietzscheはAlso sprach Zarathustraにおいて、存在する価値すら持たない末人たちのルサンチマンについて語っている。ルサンチマンの詳細についてはここでは詳述できないが、要するにそれは末人、すなわち肉としての人間たちの、ごく一部の「強者」に対する妬みや嫉妬に起源を持つ。この腐り切った精神は己のあらゆる弱さを逆説的に肯定し、また同時にそれを隠蔽する効果を持つ。古代中近東において、当然のことながら経済的、武力的に強者はわずかであり、社会における大部分の残りの弱者が「大衆」を構成し、そこから間身体性の論理から「神」、特にユダヤの神の存在が導きだされたことは明らかであろう。

こうして人工的に創出されたユダヤの神は来世での救いを大衆に約束するという大それた虚偽によって、大衆が瀕している現世での苦難を肯定した。蛇足ながらヨーロッパでキリスト教が繁栄したのも、国家がそれを大衆に推奨することで、大衆の頂点に立つ王権国家の存続を確保しようとしたからに他ならない。17世紀の自然環境の厳しかった開拓期にあったアメリカ社会が、プロテスタントによって形成されてきたという事実も、これと無縁ではない。

だが問題は、ユダヤ教、あるいはキリスト教にしても、大衆が強いられている苦渋の存在をお互い支え合うための装置として「愛」という概念を創出しているということである。特にキリスト教においてはキリスト教精神と愛とはほぼ同義語であり、分ちがたいほどに密接な関係を持っている。愛こそがキリスト教の中核をなす基本概念であるのだが、先述した通りこの愛の起源がルサンチマン、すなわち弱者の弱者故の鬱積した感情にあることは何より明らかである。従って「愛によって結び合わされている」という意識は、「我々は他者(強者)とは違うのだ」という意識から反作用的に導きだされた誤った選民思想でしかない。元来神は末人によって捻出された概念でしかないのだが、彼らは自らが生み出した人工物でしかない神の存在を、理念的に現実世界内から排除することで崇高性を付与し、そこから逆照射的に自らを肯定するという自作自演を行っているのだ。

しかし「愛」の持つ絶大なる効果は、己の肉の存在に付随する弱さを事もあろうに、ありもしない「救い」の証として逆に利用するだけでなく、愛によって結び合わされた人間の自己欺瞞自体を隠蔽してしまうことである。互いに惹かれ合う2人は、彼らの精神と肉体を互いに結びつける精神志向を「愛」と名付け、それがあたかも崇高な、そして揺るぎない「真実」」であると錯覚している。

しかし少し考えてみれば、元来本能の図式から外れたヒト科生物にとって、あらゆる「思考」そして「志向」が権力の結果でしかあり得ないことは文学や文化人類学、社会学を紐解くことなく立証可能である。時代時代において「愛」として認知され得る形態は社会での中で仮構されてきたものであり、例えばギリシャ時代の「真実の愛」とは婚外での同性愛であった。そして、特に近代においては愛というものが資本との連関で仮構されてきたことをMax WeberのDie protestantische Ehik und der ‘Geist’ des Kapitalismusは語っている。

明らかに「愛」を交換すべき対象として、各人に選び取られるものは当然時代によって変遷し、何ら普遍性を持つものではない。しかし例えば共時的に愛し合う2人の関係性は、互いを結び合う愛が真実であるという当然立証不能な前提において成り立っている。しかもついさっきまで真実だと思えていた愛が、ほんのわずかなことで瓦解することも経験則からして明らかである。だが弱き末人の本来的に取るに足らない自己の肯定のための最後のあがきとして、「愛」はほとんど「宗教的」と言っていい程に不可欠になっている。挙げ句の果てには「2人は生まれる前は1つの生物だった」というお話にならないほどの寓話をでっちあげるに至っている場合もある。

末人たちは恐らくは薄々自分たちの自己欺瞞に気づいているのであろう。それが故に、彼らは本来的に無価値である自分たちの自己肯定のために、仮構物でしかない「愛」があたかも「真実」であるかのように自らに言い聞かせるべく様々な儀式を行うよう駆り立てられている。愛し合う2人が日々愛を語らい、共同生活を行い、セックスをしたり、物理空間的に離れている場合にはメールの交換などを行うのは、決して「愛」自体が、「共同生活」自体が、「セックス」自体が、「メール」自体が重要なのではない。むしろそれはキリスト教教会内でのあらゆる行為が、それ自体の行為の内容ではなく行為するということ自体に意味があるのと同様に、単なる「愛」の欺瞞性を隠蔽するための儀式性のみが要請されているだけなのである。



 




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