迷走の要因
16/01/19 17:07
自然界に生きる動物たちに「何故あなたは生きているのですか?」と問うたとすれば彼らはどう答えるであろうか?「子孫を残すためだ」と答えるであろうか?
ではヒト科の生物に同じ問いを発したとすれば、彼らはどう答えるだろうか?
「何故あなたは生きているのですか?」
「子どもを作るためです」
恐らくこのような答え方をするヒトはほぼ皆無に違いない。自然界の動物たちは、ヒト科の生物と異なりその遺伝子を次世代に継続することのみを本能というプログラムによって生の目的としている。何故なら動物たちの生命は、ヒトと異なり生殖能力の終焉とともに生命自体の存続を停止するからである。動物たちの身体は、すべてがその個体の生命維持と、子孫存続のための特徴を備えている。
動物たちはただ単に生まれ、成長し、交尾をして子孫を残し、そして死んでいく。しかし彼らは意志によってこうした生を営んでいるのではなく、自動化された機械のごとく行動しているに過ぎない。従って動物たちに「何故あなたは生きているのですか?」と問うたとしても彼らはその答えを知り得ない。と言うより動物たちに対してはこの問いを発すること自体がそもそも意味をなさない。
動物たちの唯一の存在理由が、彼らの知り得ない「遺伝子存続のため」だとすると、その生きる目的は彼らには可視化されていないが故に、「生きること」自体が「生きる目的」とならざるを得ない。
本来的に生命とは「生きること」自体が自己目的化されたトートロジカルな現象であるのであり、そこに意味を問うことは不可能なのである。
一方で本能のプログラムから逸脱し、言語による象徴世界に意識を持つヒトにとっては、原理的には意味をなさない「生きる理由」を意識せざるを得ない。しかし悲しいことに、問い自体が問いとしての本質を欠いているが故に、「解」は存在しないのである。
「何のために生きるのか?」
生命は生きるために生きているとしか現象し得ないのであり、生きる目的を問うことは迷走しか呼び起こさない。
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